時間潰しにはなるが脱線ばかり
てなわけで、基本的に人生が脱線しとんのは原因として性格にあるっちゅうことが明白だ。
こういうBlogカラーをくずしてしまうよーな記事を作成して過去の自分に後ろめたいと思いつつも書いている(超字余り)
えーと、
ビッグバンです。テーマは始まりの【ソレ】。爆発でも何でも構わんけれど、
無から
有がある時生まれたと考えるしかない。断言出来ないけど自分にはこのイメージが一番しっくりくるから。どうしても神様が上手くイメージできんのです。まぁ諸説あるから色々考えてみるのが老後の楽しみかもしれんしね。
そいで、ある時生まれた
有は形を代えて今の所の我々の世界を構築している、とされとる。最初は合点がいかんかったのが、
姿形が変わって存在している、ってニュアンスでした。地球で人間は増える一方、義務教育理科では宇宙空間は広がり続けていると聞かされたからでした。つまり増殖、物質的な量が増え続けるのが世界だと思っていた。
この固定観念はまだ消えてないし、自分の中で基準になってきました。
それはそれとして(余談が主文かよ

)、最初に生まれた
有の絶対量がそのまま一定という論には心打たれません?
有は1次元から2から3から4と形を変えてはいるけれども大元のエネルギー(以後=E)の大きさは(量は)一定であってこの世界を構築し、その断片である我々があれやこれやと摂取したり排泄したりしながら変わりつつある。これが輪廻ってやつなんか?とか思うわけでして、宗教的には生きる命が死んだときにまた別の生き物に生まれ変わるってやつのサイクルにあてはまりそう。
もっと言わせてもらえば、物に命が吹き込まれると生物になる、いずれは物になるわけだがその中にあったEはまた異なる入れ物に収まって生物となる。このEを仮に魂としたならば、地球だけに限定してみると魂の絶対量が決まっていて、その循環の中で考える動物の我々は右往左往しているのじゃないでしょうか。アマゾンを中心に熱帯雨林ではこうしている間にも絶滅していく植物は後を絶たない、一方で人類の総人口は増えてゆく。既存の家畜や食用の生物の養殖は増加、方や建築資材のための森林伐採や新燃料開発のための濃度開発。生きとし生けるものの絶対量は総合的に減ってるのかもしれません。
衣食住に欠かせなかった燃料で、原型が生物で無かった物って結構少ないです。ここでは仮に精神的・不可視Eが循環していることについて考えてみました。
精神と物質は相反する様でこれも
有の形かもしれません。ここから最後は愚痴です。日本って裕福です。物にも何にも恵まれて感覚が先進国の中でもユルユルになってませんか?こんな豊かな生活環境に反して貧しいといえばよく言われる心です。その国の中だけを循環するEがあるとしたらみんな大好きなお金を手に入れたは良いけれどモラルを失ってはいないでしょうか。上を見れば綺麗で大きな建物増えました。地上0mから見るとけっこうどこも汚いです。じゃあお金捨てれば元通りか?そんなことはないです。そんな単純なら大抵の人はやってるんじゃないですか。時間Eで手に入れるお金ではあるのですが、時間Eをまた違う形のEにして人間の心の中に返ってくるような方法は探していかねばなりませんね。
朝方街ですれ違う人たちに「おはようございます」と言いますか?いや、笑顔で言えますか? 僕は言えません。日本てこんなに他人が怖い国だったでしょうか。
posted by あたまかなやさはら at 23:54| 大阪 |
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心のささくれ頭の持ち腐れ
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