2008年03月13日

夜半覚醒

時 夜半にして 精神が澄み渡り 五感が冴え 感情が高ぶり 身体が突き動かされる

そんな状態を夜半覚醒と名付けました。睡眠時間は減る上にリバウンドで疲れます、そんな非効率的な衝動現象が最近良くあります。
そもそもが何に対して非効率的なのかも定まりませんが、人間 夜は眠らんといけません。そういう当り前のことに対する反動なのか、単なるフラストレーションなのか。ともかく資本主義的な生活には無駄な感じです。
でも俺たちゃ機械じゃねぇんだなって気付かされます
かしこ



posted by あたまかなやさはら at 02:23| 大阪 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 心のささくれ頭の持ち腐れ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月11日

無価値考察 2

時間潰しにはなるが脱線ばかり


 てなわけで、基本的に人生が脱線しとんのは原因として性格にあるっちゅうことが明白だ。
こういうBlogカラーをくずしてしまうよーな記事を作成して過去の自分に後ろめたいと思いつつも書いている(超字余り)

 えーと、ビッグバンです。テーマは始まりの【ソレ】。爆発でも何でも構わんけれど、からがある時生まれたと考えるしかない。断言出来ないけど自分にはこのイメージが一番しっくりくるから。どうしても神様が上手くイメージできんのです。まぁ諸説あるから色々考えてみるのが老後の楽しみかもしれんしね。
 そいで、ある時生まれたは形を代えて今の所の我々の世界を構築している、とされとる。最初は合点がいかんかったのが、姿形が変わって存在している、ってニュアンスでした。地球で人間は増える一方、義務教育理科では宇宙空間は広がり続けていると聞かされたからでした。つまり増殖、物質的な量が増え続けるのが世界だと思っていた。
 この固定観念はまだ消えてないし、自分の中で基準になってきました。

 それはそれとして(余談が主文かよあせあせ(飛び散る汗))、最初に生まれたの絶対量がそのまま一定という論には心打たれません?は1次元から2から3から4と形を変えてはいるけれども大元のエネルギー(以後=E)の大きさは(量は)一定であってこの世界を構築し、その断片である我々があれやこれやと摂取したり排泄したりしながら変わりつつある。これが輪廻ってやつなんか?とか思うわけでして、宗教的には生きる命が死んだときにまた別の生き物に生まれ変わるってやつのサイクルにあてはまりそう。

 もっと言わせてもらえば、物に命が吹き込まれると生物になる、いずれは物になるわけだがその中にあったEはまた異なる入れ物に収まって生物となる。このEを仮に魂としたならば、地球だけに限定してみると魂の絶対量が決まっていて、その循環の中で考える動物の我々は右往左往しているのじゃないでしょうか。アマゾンを中心に熱帯雨林ではこうしている間にも絶滅していく植物は後を絶たない、一方で人類の総人口は増えてゆく。既存の家畜や食用の生物の養殖は増加、方や建築資材のための森林伐採や新燃料開発のための濃度開発。生きとし生けるものの絶対量は総合的に減ってるのかもしれません。
 衣食住に欠かせなかった燃料で、原型が生物で無かった物って結構少ないです。ここでは仮に精神的・不可視Eが循環していることについて考えてみました。

 精神と物質は相反する様でこれもの形かもしれません。ここから最後は愚痴です。日本って裕福です。物にも何にも恵まれて感覚が先進国の中でもユルユルになってませんか?こんな豊かな生活環境に反して貧しいといえばよく言われる心です。その国の中だけを循環するEがあるとしたらみんな大好きなお金を手に入れたは良いけれどモラルを失ってはいないでしょうか。上を見れば綺麗で大きな建物増えました。地上0mから見るとけっこうどこも汚いです。じゃあお金捨てれば元通りか?そんなことはないです。そんな単純なら大抵の人はやってるんじゃないですか。時間Eで手に入れるお金ではあるのですが、時間Eをまた違う形のEにして人間の心の中に返ってくるような方法は探していかねばなりませんね。

 朝方街ですれ違う人たちに「おはようございます」と言いますか?いや、笑顔で言えますか? 僕は言えません。日本てこんなに他人が怖い国だったでしょうか。



posted by あたまかなやさはら at 23:54| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心のささくれ頭の持ち腐れ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月10日

無価値考察

目に見えないもんを追っかける

 てなわけで、この世で無益かつ金のかからない遊びの一つである、自己満考察に浸ります。
誰だか分かんないけど、この世の中(←限りなく広義の意味あせあせ(飛び散る汗))の始まりは 
 から生じたビッグバン(いわずと知れたどんっ(衝撃)大爆発どんっ(衝撃))とされています。
ある宗教では神様が創ったことになってて、これが絶対条件だった世の中を震撼させる科学的な定説を唱えるとはスゴイ奴がいたもんだ!

 無神論って、ある宗教というか大抵の人間以上の存在が出てくる経典の中では大罪ですよね。科学とかって突き詰めると経典とは違った、時には経典に反した、論理が出てきてしまいます。これって無神論とか反神論のベクトルだと思うんです。宗教否定とまでは言いませんが人間って不思議なもんですよ、無神論から生まれたビッグバン定理が大多数の支持を得たとします、ゆるく見るとそこにはビッグバン信者が誕生するわけでして、無神論の中からもある種ひとつの宗教が誕生してしまう。

 
えーと、この世の宗教否定とか難癖付ける気概は一切無いんですがその様に聞こえたらごめんなさい。結局何が言いたいかというと、人間の心理として絶対神を求める部分はあるがそれは偶像や思想対象に限らず、強い相対的共感により感化される脳内の衝動から来たる印象そのものである。といった感じですかね。
 文字にすんのって伝えにくいなぁ、とか思いつつ知ってますよ
『文章で伝えれない者が口頭で伝えられるはずが無い。』
ってんでしょ?物書きがほざいてんじゃねーむかっ(怒り)こちとらこれでも必死なんじゃぁ!あぁオレの幻想よ早く頭から消えてくれ...

 愚痴ってもしょうがあるまいにダメ人間はロスが多い。なんか考察とか言いながら当初の目的を逸脱した上に哲学よりになってへん?うわ、キショい、俺キショい!
                  
続く?




ラベル:不思議
posted by あたまかなやさはら at 00:00| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心のささくれ頭の持ち腐れ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。